橿原神宮の歴史
神武天皇は、天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅を承け、天業をおし弘めようと、九州の日向(ひゅうが)国の高千穂の宮から東遷の壮途に就かれた。そして、国内を統一し、畝傍(うねび)山の東南・橿原の地に皇居を営んで、即位の礼をあげられた。明治の時代になり、天皇の御聖徳を景仰して、この橿原宮跡に神宮創建の請願が民間有志から起こり、これを深く嘉せられた明治天皇の御聖慮により元京都御所の賢所と神嘉殿を本殿と拝殿として下賜され、明治23年4月2日官幣大社・橿原神宮として御鎮座された。

(明治天皇御製)
橿原のとほつみおやの宮柱 たてそめしより
国はうごかず

橿原の宮のおきてにもとづきて わが日本(ひのもと)の
国をたもたむ

橿原神宮の信仰
神武天皇は御年45歳で日向国を御進発になり、6年の歳月を道中で費やされ、最後に大和国に入られて、畝傍の橿原に都を奠(さだ)められた。その間、実に言語に絶する艱難辛苦(かんなんしんく)を重ねられた。通常の人間では到底不可能と考えられる九死に一生を得られたということは、天皇が天神の御子として、建国の大理想を達成される運命を担われていたために、随所に天神の御神助を得られたものに外ならない。 天皇が非常な苦難の末に大業を完成せられたことは、今日の言葉でいえば、実に運勢強大なお方であったといえよう。 天皇は、橿原の宮に即位されてより御在位76年、日本建国の基礎を打ち立て、政治の根本を定められて、宝算137歳(日本書紀 127歳)の御長寿をまっとうされた。このことは天皇がいかに御健康であられたか、ということを物語るもので、同時に延命と長寿を願う国民の理想を具現されたものと解される。橿原神宮においては、天皇の御長寿にちなんで、年頭に当たり、延寿祭を執行し、皇室の弥栄(いやさか)と国民の延寿幸福を祈願している。

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