春日大社の歴史
春日大社は、平城京の守護の為に創建された御社で第一殿は茨城県の鹿島神宮から、第二殿は千葉県の香取神宮、第三、四殿は大阪府枚岡(ひらおか)神社から、それぞれ春日の地に迎えられた神々が祀られているが、中でもタケミカヅチの命は一足早く東の御蓋山(みかさやま)の頂上に降臨され、やがて奈良時代の神護景雲二年(768)、藤原氏の血を引く女帝、称徳天皇の勅命により、左大臣藤原永手らが現在地に四所の神殿を創設したのが始り。以来、藤原氏の氏神として有名。古くは「春日大神社」、「春日神社」、中近世は専ら「春日社」と呼ばれてきたが、明治四年、「官幣大社春日神社」に列格、更に昭和二十年、神社と国家の分離により、昭和二十一年、宗教法人法に基き「春日大社」と改称された。

春日大社の信仰
春日大社は、本殿向って右(東)から、第一殿 武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、第二殿 経津主命(フツヌシのミコト)、第三殿 天児屋根命(アメノコヤネのミコト)、第四殿 比売神(ヒメガミ)の四柱が祀られているが、タケミカヅチの命とフツヌシの命は水神(自然神・観念神的)、アメノコヤネの命とヒメガミは、祭儀にかかわる司祭者を神格化した神(人格神的)として、神格は、きわめて対照的である。また、タケミカヅチのシンボルは「杉」であり、芸能神の依代(よりしろ:神が依りつく物)である「松」がアメノコヤネの命の御子神を祀る若宮のシンボルであることから、樹神信仰が見られ、御蓋山(みかさやま)の木を伐ることは堅くタブーとされた。平安朝に入ってからは、明らかに藤原氏の氏神信仰が中心となる。

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