當麻寺・中之坊の歴史

當麻寺は、用明天皇の第三皇子・當麻皇子(麻呂子親王)が、兄・聖徳太子の勧めで612年に建立した河内の万法蔵院を起源とする。現在地には、當麻皇子の孫・當麻国見が役行者より土地の寄進を受けて681年に遷造した。當麻の地は、役行者の最初の修行地といわれる。寺号を禅林寺と改めたが、當麻氏の氏寺として栄えたため當麻寺と呼ばれるようになる。
金堂、講堂、東塔、西塔などの白鳳伽藍が、平安時代初期頃までに完成し、平安末の南都焼き討ちの際に諸堂の多くを失いながらも、東西二基の塔や金堂の白鳳仏は難を免れ、金堂・講堂も鎌倉時代に再建された。 中之坊は、もと役行者が金堂前で修法した際、熊野権現が出現した場所を起源とし、奈良時代に「中院御坊」として成立した。以来、筆頭寺院として、當麻寺の歴代別当が住房とした。中将姫の剃髪所としてゆかりの宝物を多数伝えるほか、豊臣秀吉が宿泊したという桃山時代以降、庭園、書院、茶室などが整備され貴重な文化財となっている。

當麻寺・中之坊の宗教

當麻寺は当初、三論学を中心とする奈良仏教の学問寺院であったが、弘仁時代、弘法大師の参籠により中之坊実弁が弟子となり、実践を重んじる真言密教寺院へ転化した。 また、人々が極楽往生を願う世相とともに當麻曼荼羅の信仰が高まり、中世には浄土信仰の聖地としても栄えた。その影響で、當麻寺を欲した京都知恩院が、南北朝時代に當麻寺裏手に往生院(現・奥院)を建立し、後の浄土宗参入につながった。
中之坊は真言宗の別格本山であるが、宗派を問わず広く信仰され、本尊・導き観音には健康・安産・厄除けの祈願に多くの方が訪れる。また、極楽浄土の入り口として、先祖供養・水子供養の回向所としても信仰されている。

■詳しい内容は

公式サイト:http://www.taimadera.org/
関連サイト:http://www.eonet.ne.jp/~katsuragi/
 


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