聖林寺の歴史
712年(和銅5年)、談山妙楽寺(現談山神社)の別院として、藤原定慧(鎌足の長子)が創建。その後、真言宗の律院としての性格を強めるようになり、江戸末期から明治にかけては、一源和尚など多くの学僧を輩出するようになった。江戸中期に、当時の住職文春が現在の本尊 子安延命地蔵菩薩像を造像し、安産・子授けの祈祷寺としても栄えるようになる。また、明治の神仏分離令を前に、1868年(慶応4年)、三輪山・大御輪寺より十一面観音菩薩立像が移された。
聖林寺の宗派
真言宗 室生寺派
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